槍玉その40 『日韓がタブーにする半島の歴史』 室谷克実 新潮文庫 2010年4月刊  読後感想 文責 棟上寅七

はじめに


室谷克実さんという、時事通信の記者さんの書かれた『日韓がタブーにする半島の歴史』を、半分ほど読んだ時考えました。内容的に古田武彦さんの考えに矛盾がない内容のようです。これをこの研究会の検討の俎上に上げてみたらどういうことになるのか。

著者は、長い韓国特派員生活で、韓国の過去現在の、民族意識が高さ、反日感情の底深さなど、感じられるところが多かったようです。

過去、当研究会が槍玉その15で取り上げた、『逆説の日本史』の井沢元彦さんも、反韓的心情を吐露されていますが、室谷さんの場合は、実例を沢山上げられて論じられますので、井沢さんほどの感情的反発は少ないかもしれません。

韓国ではハングルのみでの教育が進み、漢字が読めなくなり、中国古典や『三国史記』などの自国の史書なども普通の韓国人は読めなくなっている、など「エッ本当?」と思わせるような事を、沢山書かれていて、読み物としては肩が凝らず、槍玉その38『百済の王統と日本の古代』兼川晋さんの本より平易に読めます。

ということで、この本の内容紹介と、棟上寅七が感じたことを書き添えて、この研究会のホームページをご覧になる方のご高覧に供したいと思います。(なお、以下の当研究会の意見・感想は青字で記しています)


序章 陛下のお言葉ではありますが。

【貴国は我が国にもっとも近い隣国であり、人々の交流は、史書に明らかにされる以前のはるかな昔から行われておりました。そして、貴国の人々から様々な文物が我が国に伝えられ、私共の祖先は貴国の人々から多くの事を学びました】という、1994年3月金泳三韓国大統領来日時の天皇の、宮中晩餐会でのお言葉を紹介してこの本は始まります。

著者は、天皇の言葉に象徴される「常識」に異議を唱え、半島に初めて統一国家を築く「新羅」の基礎造りをしたのは、実は倭人・倭種であり、新羅も百済も倭国を文化大国として敬仰していた、と述べます。

その証拠は、朝鮮半島の歴史書、『三国史記』・『三国遺事』を素直に読めばちゃんとそこに書いてある、と詳しく説明されます。朝鮮半島の史書だけでなく、7世紀の『隋書』にも”新羅と百済は俀国を敬仰している”、と書いてある。また、高麗の正史の『三国史記』には”列島から来た脱解という賢者が、4代目の新羅の王になり、倭人を大臣に任命した”、と書いていると説きます。


1章 新羅の基礎は倭種が造った

この章で、『三国史記』、『三国遺事』という半島の史書についての史料の検討を次のようにされています。

『三国史記』というものは、高麗の仁宗の王命で編纂されたものであり、”君后の善悪、臣子の忠邪、人民の理乱をさらけ出して後世に勧戒を示せ” という基本理念のもとに編纂された。編者の金富軾は高麗の部将且つ高名な儒家であった。

『三国遺事』は『三国史記』より百数十年後に、一然という国尊という称号を持つ高僧が編んだ史書で、『三国史記』にもれた史料記事を集めている、いわば異説集である。

『三国遺事・新羅本紀』第一巻に、脱解王が四代目の王に即く話がでている。脱解は、倭国の東北千里にある多婆那国の生まれとある。

新羅の脱解王は1世紀の人物とされます。この伝承が載る『三国史記』は12世紀の編纂です。さてこの場合、千里が、1世紀の里単位なのか、12世紀の里単位なのか、そこについて何も室谷さんは言及せず、「隋~唐の里」で日本列島の丹波地方で、「倭国」とは別の倭種の国の多婆那国とされます。もし、短里であったら、山口県由比浜あたりの可能性も出て来るでしょうが。但しここは渡来人のコロニーという説がありますが


2章 倭国と新羅は地続きだった

この章で著者は、なぜこの倭人が新羅の国の王になった話が、抹殺された状況になってしまったのかを、説きます。『

『三国史記』に、【列島から来た脱解という賢者が4代目の新羅の王になり、倭人を大臣に任命した、と書いている。大臣になったのは、瓢箪を着けて海を渡ってきた瓠公である。この倭・倭コンビが新羅王朝の基礎を築いた。これを今まで、日本の歴史家が指摘したことがなかったのだろうか。

この脱解の孫が金王朝の始まりと、『三国史記』に書いてある。倭種の王には名君が多かった。何故このようなことが日本で知られないか、井上秀雄さんの『三国史記』の日本語訳の誤った注記による】、とされます。これは井上さんと共著の韓国人学者鄭早苗氏によるのではないか、とも推定されます。(この点を、井上秀雄さんなど、韓国史学者さんの反論を聞きたいものです

農業も半島から伝わったというのは間違っていて、稲作栽培も、倭国の方が進んでいた。半島の稲作を指導したのは倭種の人々ではなかったか、と話を進められます。(ただ、日帝が財力を投入し農業基盤を整備するまで、半島の庶民は銀シャリなど口にできなかった、というのは言い過ぎではないでしょうか。日本の庶民もほぼ同じ状態だったのではないでしょうか)


3章 国民に知らせたくない歴史がある

この章で著者は、韓国の為政者はこれらの歴史の事実を国民に知らせたくなかった、とし、その施策について推論を述べます。

脱解王の寿命が100才程になる、瓠公もまた長寿という伝承があるし、他にも年代的な矛盾がある、と室谷さんはいいます。しかしこの伝承を伝承として矛盾と思いながらも、伝承を正しく記したのだ、とされます。(それが古田武彦さんが説く二倍年歴ではないか、という推理には進まれません)

室谷さんは、現韓国の為政者も、韓国が国の創建時に倭国の助けを借りたかのような『三国史記』は、国民に読ませたくないだろう、韓国の歴代政権が、国民を漢字から遠ざける政策(全ハングル化)を採っているのはそのせいでは、と説かれます。

日本も敗戦後、漢字を廃してアルファベットで、というGHQの動きがありましたが、結果として退けられたのは幸いでした。ハングル表記というのは、アルファベットで日本語表記を行ったらどうなるか、ということを想像すると、室谷さんの疑念もあながち的外れではないかな、と思います


第4章 卑怯者を祀るOINK

著者は、現在の半島の国々の国民意識に、勝負事に「卑怯とか、正々堂々とか」という概念は欠如しているが、それは過去の歴史上の事件からも読み取れる、と説明します。

「過去の卑怯な戦術で勝ったことは教えられず」の例として、隋と高句麗との戦いでの例を説明する。薩水の戦いで30万の隋軍を打ち破った乙支文徳の戦術について述べる。

その戦術は卑怯な偽降伏戦術によるものであったが、韓国では勝ったことだけが教えられ、その卑怯ともいえる戦術については教えられていない。勝てばよし、とする現在の韓国・北朝鮮の国民意識が形成されたのは、そのような民族教育にあるのではないか、と説く。

スポーツマン精神とか紳士協定とかは無縁の、韓国でしかあり得ない、という意味のオンリー・イン・コリア(OINK)という隠語が国際金融機関で嘲笑的に使われた。これは、韓国の緊急危機の時に、IMFが韓国の国債発行に枠を決めた協定をつくったが、中央銀行の社債なら協定外として「通貨安定債」を発行し、IMFの協定を実質的に無視したことによる。

日韓古代史で有名な「堤上説話」も、約束破り、という面をみなければならない、と室谷さんは言います。(たしかに、人質は、停戦・休戦そのた国際間の取り決めで、出すものですから、その意味では納得できます


第5章 「類似神話」論が秘める大虚構

この章で著者は、日朝神話の酷似性を取り上げて、日本の国つくり神話と半島の国つくり神話が似ていることは、半島の神話が日本の神話に影響したのだ、と説く人がいるが大間違い、と論じています。

著者は、日韓の国の始まりについての神話について、親韓派の古代史マニアが「日朝神話の酷似性」は、朝鮮の国を始めたとされる檀君神話と、釜山あたりにあったとされる駕落国の始祖の金首露の神話を、混合、歪曲して語っている、とします。そして、この二つの神話の原典からは、全く以て日本の神話と似て非なことを説明しています。

ついでに、ということなのか著者は、西アジア原産のニンニクが中国を経て朝鮮に伝わったのが、7~8世紀であるから、BC15世紀以上前のこととされる檀君神話に、熊が蒜をたべた、とあるのはおかしい、という問題もある、と言います。ニンニクが何時半島にいつから存在したのか、という社会生物学上の問題についての根拠を室谷さんがもう少し詳しく説明してくれないと何とも言えない論です

著者は、結論として、【いずれにしても、半島の各国の国を始めた首領は、みな他国から流れて来ている、というのは、基本的な価値観が日本とは違うのではないか】、と結んでいます。
過去の価値観が今も変わらない、という室谷さんの半島の人達の判断結果を支持すべきか、そこには大きな問題が孕んでいるようです。


第6章 「倭王の出自は半島」と思っている方々へ

この章で、著者は、なぜ誤った認識ができたのか、について論じています。

昨年暮れ、当時民主党幹事長の小沢一郎氏が、韓国を訪問し、国民大学で講演し「天皇家の出自は半島南部」と発言した。この、発言は江上波夫氏の騎馬民族国家説によるものであろう。史書にそのようなことは全くない。

『三国史記』が書かれた時期史書には、半島各国の王の出自については書かれているものもあるが、倭王の出自については全く出てこない。『宋書』の倭王武の上表文でも、「私は倭人」と言っている。「海北を渡って95国を平らげた」とも言っている。もし、倭王の出自が半島であれば、半島南部の支配権を宋の皇帝に要求するのに、「出自は半島」と主張すればより効果的であったであろうに、とも書いています。

ただ、『三国遺事』には、半島から日本に行って王になった「延烏郎説話」があります。しかし編者注で、「日本の史書でも、この時期日本の王になった新羅人はいない。真の王でなく辺境の小王であろう」としています。

韓国の人が、誤った歴史認識を持っているのは、崔南善の著書『物語朝鮮の歴史』に負うところが多い、と室谷さんは言います。

【彼の主張は、①半島や大陸からの逃亡民が倭国を造った。倭奴は蒙昧で半島から行った民が文化文明を教えた。新羅は列島に多数の植民地をもっていた。おまけに、崔南善は日本という国号も新羅が付けてやった、といい加減なことを言っている】、とも述べます。
たしかに、ホームページで取り上げた、槍玉その35 岡田英弘 『日本史の誕生』などは、著者が紹介する崔南善の主張に沿ったような論調でした


終章 皇国史観排除で歪められたもの

著者は終章として、次のように結びます。

戦前は、『三国史記』の新羅の四代目の王、脱解は倭人だ、ということは朝鮮史学者には、まあ常識だったが、戦後は皇国史観排除で一変した。任那に倭人がいた、どころか「任那」ということ自体が憚れる状況になった。

【『隋書』俀国伝にある、「新羅・百済は俀国を大国と敬仰す」と書かれていることが、日本の朝鮮史学者には見えないのか】、というように室谷さんは詰っています。この記述を史実と認めたら、「倭人は殆んどあらゆることを半島の民から学んで・・・」という自虐史観(天皇のお言葉に象徴される)が土台から崩れるからであろう、と結ばれています。


あとがき

著者はあとがきとして、次のようなことを書いています。

【1987年に出した前著『「韓国人」の経済学』で、韓国人は儒教に染まりきっていて働くことを軽視しているから、まともな工業製品はできない、などを書いた。しかし、当時は「韓国=昇竜論」時代で、非常識扱いされた、この本も、自分の頭を「通説と常識」で塗り固められている人々には、受け入れがたいに違いない。当初の仮題は、『戦後日本の朝鮮史学(者)を告発する』であったが、新潮社編集部の助言で、全体の半分の量の上澄みを掬い取った

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当研究会としての感想

はじめにに書いたように、この本は古田武彦さんの九州王朝説と基本では同じだなあ、と読み進めたのです。極南界也の解釈の問題、倭国之東千里の多婆那国の位置の問題など、いくつか古田武彦さんの解釈と違うところはありますが、メクジラを立てることもないと思いました。

『三国史記』・『三国遺事』などの詳しい説明は、初めて聞く内容のことも多く、大いに参考になり啓発され、著者に感謝申し上げなければなりません。

読み終えて感じたことは、著者の基本的スタンスは、現在の「古代における韓国日本 の文化の流れ」という見方は間違っている、実は逆なんだ、というものです。日韓古代文化交流デベートで、相手の立論の基盤を掘り崩す、という意味では、完膚なきまで、という表現も出来るほどだ、と感心しました。

しかし、このデベートで、室谷さんも自身の不利になるようなところは、巧妙に避けていらっしゃるようです。

例えば、
『日本書紀』にある、数多くの百済大和朝廷への文化の流れはどう位置づけるのか。

『隋書』の「新羅・百済皆以俀為大国、多珍物、並敬仰之、恒通使往来」の文について、朝鮮史学者が無視することを責めていますが、朝鮮史学者だけではなく、日本古代史全体が「俀国」=倭国=大和王朝とする常識自体が根本問題であることには言及されません。

朝鮮の古代史で、中国との戦いに卑劣な手段で勝ったことを隠して、手段を問わず勝てば良し、という国民性が今も同じ、と拉致問題・六ヶ国協議などの現在の問題と結びつけて警鐘を鳴らされます。しかし、わが国の史書にも、沢山の卑劣な手段での権力奪取が書かれています。これらのことについて、現在のわれわれ日本人の特質ではないか、と先方から反論されても、仕方ない室谷さんの論調かなあ、と心配になりました。

もう一つの著者の気持ちというのが、「天皇の対半島歴史観」というものが醸成されたところへの不満があるのでは、と思われます。

しかし、「私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,『続日本紀』に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています」という、天皇の発言内容自体は間違っていないと思います。この点について、室谷さんは言及を避けています。

最初に感じた、斬新な対韓半島歴史観も、読んだ後では、ちょっと古田武彦さんの思想とは根本のところが違っているのではないのかなあ、と変わりました。

具体的には、この本は、韓国の歴史観を裏返しにした、倭国半島の流れという室谷史観だと言えましょう。

客観的に見れば、半島と列島は、対馬海峡・日本海を介してお互いに文化文物の交流があった間柄、ということではないでしょうか。また、「王統の純血を有難がる」考えがあるように思われること自体に問題があるのではないでしょうか。

ともかく、この本は出色の半島歴史の本と言えると思います。読んでいらっしゃらない方は、是非756円を張り込んでも、求めて損はありません。

室谷さんが、あとがきに述べられているように、当初の「戦後日本の朝鮮史学(者)を告発する」という原稿から、新潮社の商業主義により半分に減らされたそうですから、ひょっとしたら、著者の真意を間違って受け取ったかもしれません。次に出る(であろう)著作に期待します。

(この項終わり)

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