(七) 中大兄皇子、そして鎌足のもとへ
このような穏やかな日々は長くは続きませんでした。ある冬の朝、筑紫から早馬の使いが着きました。
幸山大君からの書状だったそうです。書状の封印を外されて、巻紙を広げるなり 「そんな!」と、父上が絶句(注701)されています。近寄りがたい雰囲気です。
部屋に籠もられ、しばらくして私をお呼びになられました。
「気を確かに持って聞くように」と前置きされて、文の内容を教えてくださいました。
・一貴皇子が大君の名代で百済に赴いたら、新羅兵の待ち伏せに遇い、部隊は全滅した、ということ。
・一貴皇子の亡骸は、不明のままであること。
・百済兵の生き残りの言では、逃げ込んだ民家もろとも焼かれた、とのこと。
・新羅兵の中に唐兵の装束(注702)も見られたとのこと。
・百済は救援を求めていること。
・幸山大君が陣頭に立って、乾坤一擲(注703)の勝負をかけると、仰っていること。
・幸山大君留守の間の日本の采配は、筑前の大分君(注704)に依頼することにした、とのこと。
・此度の一貴皇子の戦死については、蘇我一党の企みがあったと判明、蘇我一党は長柄豊崎の宮で、大君によって成敗(注705)された、ということ。
・大和一統の後詰(注706)の軍三万は必要であり、至急、寶女王に、東国および吉備の軍勢をまとめさせて欲しい。
・以上のことを鏡王が談判せよ。
・皇国の興廃は鏡王の交渉にかかっている、が結びの言葉。
という驚くべき内容のものでした。
このところ体が優れず、聞いているうちにふわ~となって、気付いたら寝間で多賀がぬれた手拭で頭を冷やしてくれていました。父上は?と聞きますと、寶女王の御殿に急の御用と仰って出かけられた、ということでした。
幸山大君が、お気に入りの歌人大伴家基(注707)殿によく歌わせた、あの、「海行かば」で始まる歌、男にはこの歌の気持ちの悪さが分からないのかなあと、あの歌を聞いた時には情けなく思われました。今、あの歌が脳裏(注708)によみがえり、荒涼(注709)とした戦場が浮かび上がって、涙が止まりませんでした。
海行かば 水漬く屍 山行かば、草むす屍
大君の 辺にこそ死なめ かえりみはせじ (注710)
後は、一貴様がお帰りになろうとなられまいと、仏門に入って仏様におすがりして生きる以外は無いだろうと、心に決めました。
ところが、そのようなことが許されない、とんでもないことが襲いかかりました。
寶女王さまと父上がお会いになられた次の日、父上が私をお呼びになりました。
「安児も不憫(注711)な子じゃ。星回りは悪くはないと思っていたが、一貴殿のことはこれは運命と諦めて欲しい。良かれと思ってあのような・・・、申し訳ない」
「いいえ、お父様、そのように安児のことを思っていただき、ありがたく思っています」
「それよりも、寶女王様との談判の首尾(注712)は如何でございましたか?」と、お聞きしますと、
「寶殿との話は出来た。それがじゃ。えげつないとはこのこと。足元を見おって」と今までに見たことも無いお父上のえらい剣幕(注713)です 。
しばらく息を継がれて、思い直されたのでしょう、穏やかな声に強いて戻られ、話を続けられます。
「今の、安児に聞かせたくない話だが、聞いて貰わなければならない」
「何事でございましょう?」
「今度の戦の助太刀(注714)の話は、今まで続いてきていた以前からの約定(注715)ゆえ、先方は逃げられない話じゃ。じゃが、いざとなってもう一つ条件を付けてきおった」
「???」
「安児を、中大兄のところに寄越せと言うのじゃ」
「!!!」
「済まぬ」と、いきなり私を抱きしめられました。
「考えてみると、寶女王は、安児を息子の嫁に、と以前より目星(注716)をつけていたのかも知れぬ。息子達のために、日本の血筋が欲しかったのであろう。それならそうと言ってくれば、それなりに対応が出来たものを!」
「・・・・・」 何も言えない私でした。
「しかし、考え直してみれば、戦いの場に近い筑紫に、先々戻ることができたとしても、そなたの幸せが待っているとはとても言えない今の状態。いぶせき(注717)大和の地だが、あの中大兄であればそなたを粗末にはしまい、いや私が生きている限りはさせることはない。・・・・・」
やっとのことで言葉が出てきました。「向こうには幸い額田王がいます。仏門に入り尼にとお願いしようか、と思ったりもしました。この世で生を受け、会うは別れの始まりと、お教えいただいた父上のお言葉のように、覚悟は出来ています。これも星回りの運命でございましょう」と声を振り絞りながらも、涙が止め処もなく流れてきました。
父上が、あまりにも落ち込んでしまった私のことを心配して、古くから気心知れた多賀を付けてくださったので、飛鳥の御殿に向かうのにも非常に心強うございました 多賀はこの話を聞いた時に、姫のお輿入れに付き添えるのは幸せです」と、言ってはくれました。 しかし、も少し私に何か言いたそうな素振りを見せましたが、それ以上のことは何も言いませんでした。 この輿入れの話が進んでいる間も、私にとっては、全く他人事のような感じでした。 随分前に、額田王が、“よしゑやし うら嘆げき居るぬえ鳥の わが念へるを 告げる如くに”と詠んだ気持ちがわかる気がしました。
飛鳥の御殿で額田王は私と会うなり、「よく来てくれました」、と、本当に喜んでくれました。これは意外でしたし、ホッとしました。なにか嫌味か皮肉っぽいことを言われることを覚悟していたのですが。 額田王は賢いので、沢山の大奥のお女中に、どうやれば寶女王様に嫌われないか、どうすれば中大兄皇子様のお気に入られるか、など助言して上げているそうです。 それがよく的を射ているので、皆の者から好かれているそうですが、気の置けない親しい友は出来ていないようです。 この飛鳥の中大兄皇子の宮殿奥でも、いろいろ起きていたようです。
後で思うと、ああそうだったか、と思い当たることも随分とあります。額田王の方も私が来てくれたことで、安心して話が出来る者が来てくれたので、ホッとしたのかもしれません。矢継ぎ早に、まるで川の水の堰が切れた時の様に、御殿内の人々の、もろもろの話を聞かせてくれました。額田王は、表には出しませんが感情の起伏がはげしいく、かつ頭の働きが鋭い人です。中大兄皇も賢いお方ですから、しばらくしてそれを見抜き、頭の働きの良さ、その機智に富んだお話を愛でられてはいるものの、閨への訪れはいつしか、遠のいていらっしゃるとか、多賀が都雀のさえずりを聞いたといって教えてくれていました。
中大兄皇子の腹違いの弟、大海人皇子は、兄と勝るとも劣らぬ出来のよい子で、また、とてもオマセな皇子だそうです。額田王よりふたつ年下だそうですから、まだ十四五くらいでしょう。額田王が例の調子で、チョッカイ掛けたのではないかと思いますが、大海人皇子が額田王にのぼせ上がっているそうです。若いものですから、外にはすぐわかるようで、御殿内外では噂になりはじめているそうです。
そのような状態の中で、額田王が「噂に高い安児姫は私よりもず~とず~っとすばらしい女性」などとけしかけるように、中大兄皇子に寝物語にでも話したのではないでしょうか。鏡王の談判に、これ幸いと、幸山大君の要求に応じる褒美にと、母の寶女王に頼んで私を所望したものではないか、と想像出来ました。
御殿に上がって三日後に、もう落ち着いただろうから、と、御殿では早速お祝いの宴が催されました。正式に夫人としてではなく、また、いわば強引な入内(注718)なので、都雀のさえずりの種にならぬようにと、ささやかに催されたのは私にとっては幸いでした。中大兄皇子と並んで、飾りの付いた銚子で御酒を頂きましたら、又この前のように、ふわ~っとしてしまいました。
気付くと額田王が扇で扇いでくれています。「お姉さま。どうなさったのですか。お酒にはお強かったのに。何かお具合いでもお悪い・・・」
妹同様で、なおかつ気が回る、額田王に嘘もつけず、「実は、このところ月のものが・・・」 「では撫子の煎じ薬をお持ちしましょう。」と、額田王が言います。
どなたが詠まれた歌かは存じませんが、次のように秋の七花を歌いこまれています。
萩 尾花 葛 撫子 をみなえし
また 藤袴 朝顔の花 (注719)
撫子の種子は、月のものの不順に薬効があることなど聞いて知ってはいましたが、「いやそれには及びませぬ」と、消え入るような声きり出てきません。
「と申されますと、お姉さまにはお心当たりが?」、と、先回りしたような額田王の聞き方です。
「私からは言いにくいのですが、多賀が事情は承知しています。彼女に聞いてください」と、言うのが精一杯でした。
この話は、額田王から中大兄皇子へ伝わりましたが、皇子もこれには頭を抱えました。「やはりここは鎌足を」と、鎌足どのを至急呼び寄せられましたそうです。
これからお話しするのは、後々、わが夫鎌足どのからお聞きしたことです。
「後宮に入れたをなごが、他所の種を宿していた、それもやんごとなき(注720)一貴皇子の種を、となれば、それこそ飛鳥雀のさえずりも、ひと際騒がしいものになるだろう。また、筑紫との関係もこじらせるわけにもいかぬしな。どのように始末をつけるか、本当にあの時は頭を抱えたぞ」、と、仰いました。
「このようなことで収められないでしょうか」、と、鎌足どのは、中大兄皇子に申し上げたそうです。ここは一つ、寶女王様に一役買っていただくことで如何でしょうか」と。
「具体的には、どういう方策があるのか」と、皇子がお聞きになられ、「寶女王様に、三輪明神(注721)の夢のお告げがあった。陰陽師(注722)の夢占いで、このたびの妻問いはなかったことにしなければ、災いが、うがや一統全体に及ぶ、という筋では如何?」と、鎌足どのが考えたところを申し上げたそうです。
「ふむ。だが、筑紫に返すわけにも行くまい。もう一工夫必要だろう」と、仰って、言葉を継がれたそうです。
「おおそうだ。汝の妻人が半年前に難産の末、亡くなったという不幸があったな。まだ嫡子(注723)も出来ずにいる、鎌足が私、中大兄に、御殿の女子のどなたか是非わが元へ、と願い出たことにしようぞ。うむ、これは良い、これは良い、鎌足、異存はなかろうな!」と、話は進められたそうです。
時々、妹分の額田王のところに遊びに見える、「鏡王女の安児姫」の才色兼備ぶりは有名だったと、多賀が後々まで言いました。その王女が、中大兄皇子の後宮に入られた、と聞いてがっかりした大宮人(注724)も多かったし、それを下賜された鎌足はなんという果報者(注725)よ、と評判になったことなども、後で多賀が教えてくれました。
流石の知恵者の父上も今回は、「もしや、と、思わぬでもなかったが、所詮(注726)男の見る目で、女子の微妙な体の変化までは見とれなかった、申し訳ない。逆に中大兄殿に借りができた」と、中大兄皇子と鎌足どのに頭を下げられたそうです。
早速、飛鳥の鎌足どのの屋敷では、盛大な宴が開かれました。屋敷に父上のお話を聴講に見えていた、若公卿衆も大勢見えられ、冷やかしともお祝いともつかぬ言葉を掛けて頂いたりで、騒々しいかぎりでした。
鎌足どのは、一人ではしゃいで、みなさんにお酒を勧められ、ご自分でも幾度も同じ歌を歌って、嬉しさを皆に示されました。その歌は丸で、子供が欲しい玩具を手に入れた、というような、あからさまな歓喜の歌でした。
われはもや 安み児得たり みな人の
得難にすとふ 安み児得たり (注727)
お酒の匂いを嗅ぐのもいやで、気分優れぬと一通りのお目通りを済ませて、座を引かせていただき、閨にこもっていますと、多賀が気分は如何と部屋に来ました。本当に多賀の顔を見るだけで、ほっとさせられました。
多賀が四方山話(注728)のついで、という感じで思いがけなくも、宇佐岐の話をしてくれました。
百済での仕事も一段落して故国に帰ってきて、鏡のお殿様にお会いしたいと、飛鳥へ下ってきたそうです。父上はお喜びになられ、屋敷に二人を留め置かれて、毎日のようにあちらの国のお話を聞き穿じっていらっしゃる、と話してくれました。
「二人?」と聞き返しますと、彼の国で良き女性に出会った、と、嫁を連れて来ました。」
「どんな人?」
「宇佐岐には勿体ないほど可愛らしいひとです」
「どんな感じの人?」と、重ねてききますと、
「昔の、まだお化粧も知らないころの、安児姫みたいな」
もっともっと話を聞きたかったのですが、宴も終わったようで、鎌足どのが見えました。
先ほどまでの酒宴のときの状態でなく、きちっと相対されると、頭を下げられ次のようなことを仰られました。
「安児どの、この度の一貴様のご不幸お悔やみ申し上げます。ゆっくりとお話できませんでしたが、此度の無礼千万な振舞いよう、なにとぞお許しあれ。中大兄殿、鏡王殿が、これが一番の上策、とされ、私めが舞台に上って、ひとさし舞う役をおおせつかった次第。ともかく、今は、御腹のやや児の無事出生を第一に念じられることが、一貴様への良い供養(注729)になることでしょう。 一応世の中の雀共の目を逸らすにも、夫婦の形は整えておかなくてはなりませぬ。そこのところを無礼と思われませぬよう、御心得おきくだされ」
「何を仰せです。私は中大兄どの後宮に一度入った女です。本来なら、身籠りを隠していたと、成敗されても致し方ない身です。思いがけなく、鎌足さまに拾い上げられ、やや児も産めと仰せられる、この上の幸せはございません」
薄暗い閨のともし火の中で、鎌足どのは「では大事にされよ」と、言い置かれて、すっと出て行かれました。いましばし、ゆっくりとお話をしていただきたい気持ちでしたのに、・・・。 寝間の褥(注730)に包まれて、鏡の里で忘れ貝をくれた宇佐岐や、七山での一貴皇子との出会い、父上の肩車の上での鎌足どのとの出会いなど昔のことを、終夜燈が、丸で走馬灯(注731)のように、影を浮かび上げてくれるのを感じながら、眠りに落ちました。
その(八)へつづく (トップページに戻る)