「鏡王女物語」(一)

表紙

 物語が始まるきっかけ

家内産地直販店りのおをして、ひとみとくの石段ろしていましたら、「このお(やしろ)におりに見えたのですか」、と突然声をかけられ、びっくりしてみあげますと、ふくよかな顔立ちの上品老婦人でした。

「おり、というわけででもないのですが、古代史興味があり、家内のお新鮮野菜海産物めにきた、ついでに時間古跡(こせき)やおなどをねることがいのです。」

「そうですか。奈良遷都千三百年(まつ)(注001)とやらで、うるさくなったので、この故郷に、と里帰りしてきたようなものです。」

「ではご実家は、この糸島くなのですか?」

「いえ、松浦ですけれど、もうもいなくなって・・・。 丁度よかった、かにおししておきたいとっていたところでした。いてくださいますか?年寄りの昔話など、奈良ではだれもけてくれないおなのですけれど。」

あなたは同窓会などでも、女性にはすぐサービスするのだから、と家内から嫌味をいわれている私ですので、このもつい、「是非かせてさい」とえますと、「和歌のことは、おわかりに?」といにくそうにけます。

「こどものころに、百人一首のカルタあそびをしたり、学生時代に『万葉集(注002)などをんだくらいですけれど。」

「それで結構です。のおには、いころの、和歌習作みたいなものが沢山っていますので。」

家内にしながら、「十分十五分ならば。」

「そんなに時間はかかりません。千三百年えようでは、ひとですから。」と、前置きがあってがはじまりました。


 昔話といっても、せいぜい半世紀前苦労話あたりか、とったのですが、「千三百年以上前のおですよ」といわれても、不思議わずに、その老婦人まれていきました。

「まず、からおしましょうか。わたしが一番きてきてよかった、とったことからおししてみましょう。けどすぐに一番にたくなったことに(つな)がっていくのですけれど。」と前置きがあってめました。
みなさんにおかせするのに、その老婦人物語風整理しました。それでもなかなかご理解いただけないといます。わたしもいた、「筑紫ったでの、えっ、それって?」とったのですから。ですが、しばらく我慢していているうちに、だんだんとまれてしまいました。

(一) 王女最初 

この十六歳一番記憶っていて、れようともれられないのは、(じょ)(めい)注101のご葬儀に、幸山天子代理()()皇子さまが、筑紫からってえたことでしょう。

幸山(さちやま)天子は、多利思北孤(たりしほこ)注102という(ずい)にもられたのおです。 りにおにかかる一貴様は、以前べて随分大人びて、やせられて、をされたせいもあるのでしょうおれになっていらっしゃるようでした。注103ばれている父上が、筑紫かせていたいから、と屋形まっていただくことになりました。

 から昼餉(ひるげ)ぎてまでずーっといて、筑紫(ちくし)加羅(から)注104のおをされていらっしゃいました。この(あいだ)は、お二人だけの()らずでのおでした。

時々部屋(うかが)った多賀によりますと、高麗(こま)注105)とか、一党注106とかなどれにに入ったとえてくれましたが、どういうことかはかりませんでした。ず~とになって、ああそういうことだったのか、といあたることもありましたけれど。

 それよりも、夕刻になって、父上一貴様とお相伴を、とされておびになったので、お部屋がりますと、もうお支度っていました。気付きますと、いつもと三段重(さんだんがさ)ねのていました。十勝村梨実のブログ

与射女房殿(よさのにょうぼうどの)から、にすすめられ、お父上一貴様でおきました。  

 りますと一貴様もいくらか元気になられたようです。「 安児(やすこ)ももうつ」、など何度められまして、しぼーっとなりました。

父上が、「安児皇子りにうて、しそうだなあ」など()(ごと)をおっしゃいます。

皇子今宵(こよい)はごゆっくりとおごしなされ、安児夜伽(よとぎ)注107させますゆえ」

「これ多賀殿(ねや)支度と、安児心構えなど、よしなにむ」と、られます。

いもあったのでしょうか、こうなる運命っていたからなのでしょうか、素直多賀られて別間退()きました。

多賀からわりましたことは、以前額田(ぬかだのひめみこ)注108からかされていたこととじようなことでしたが、自分のこととなると、もう(うわ)(そら)になりました。

一貴様に、すべてお(ゆだ)ねなさいませ」という多賀(こと)()だけが、でもっています。

一貴様かりをされる寸前に、()らぎのに、チラッと鎌足(かまたり)注109どのらしい人影()ぎったようながしましたが、すぐ一貴様言葉(われ)りました。

なれば、そなたを明日にでもわが妻君(つまぎみ)けるものを。百済(くだら)注110新羅(しらぎ)注111(たけなわ)で、父君(ちちぎみ)がご自身出馬する、というのを()めているところだ。筑前大分君(だいぶぎみ)注112が、自分わりにとってくれるが、(きみ)ではうか疑問だ。結局名代(みょうだい)()く。ってきたらえにきっとる」と、(ささや)かれます。

のおいできるをおちします。お出来なければそれは運命(さだめ)うことにします、お心残(こころのこ)りなくおきを。」などと、っては駄目駄目っているのに、にもいことをってしまいました。

さまは、それ以上なにもおっしゃらずに、をぐっと何度何度きしめてくださいました。“ぬばたまの この()()けそ”
注113 と(かみ)かびましたが、この(よい)けるのが本当ようございました。 

えなければならないことがある、と筑紫におりになる屋敷られました。昨日そのようにおっしゃられていましたので、せめてものお(まも)りを、と準備しました。
太宰府
天神
のおに、楮紙(こうぞがみ)
注114に「武運長久 安児」とき、観世縒(かんぜよ)注115みこんでって、母上しながら、一心いをめました。

 婢女(はしため)が、まだいのに、多賀われたので、と、(ねや)支度をしていきました。なく、一貴さまが部屋におえになられました。

殿いをしてきたところ」

を、でございますか?」

わずとれたこと、そなたを筑紫れていくことです」

からすぐにで、ございますか?」

「そうしたいのはやまやまですが、そうもいきません。此度(このたび)めが一段落(いちだんらく)したら、大君(おおきみ)から殿正式けのおをしてもらう、しばらくっていてくれるね」

「はい」と、さくうなずき、「このおりをおさい」、と、にかけてさしあげますと、そのままきかかえてくださって、(あと)は、言葉りませんでした。

 

いつちたのか、終夜(しゅうや)(とも)されたのも気付かぬままのごしました。

 

ぬばたまの この()()けそ (あか)らひく

(あさ)()(きみ)を ()たば(くる)しも注116

 

一貴様で、今宵はぐっすりと寝込んでしまいました。きたときには、もう一貴様はお()ちになられていました。 で、この気持ちをんだ、この和歌に、「つ」、というしみがどのようにつらいものか、しばらくは(たましい)けた、というのはこのことか、というような日々でした。

 

一気(しゃべ)ってしまいましたけれど、おかりにならないでしょうね。皇子さま、とか、武運長久のおりを紙縒(こよ)りでぶなど、のことやら、とわれることでしょうね。やはりりくどいかも()れませんが、一貴さまと最初出会ったころにって、っておしましょう」

「まず、出話からおしましょう。年寄りはがくどい、とわれるでしょうが」、と、くどくどと、前置きしてのでした。

そのおは、九州唐津からまりました。いおですが、同様我慢していてさると、その老婦人本当かどうか、「のヤスコ」と名乗られましたが、そのヤスコさんもんでくれることと、います。

 その(二)につづく         トップページに戻る