『冨谷至『漢倭奴国王から日本国天皇へ』疑問の数々08

【08 隋書の文字なしの解釈】
【レジュメ】
 冨谷氏は「文字なし」を漢字なしととらえている。(96頁)しかし、この『隋書』がいう「文字」は漢民族にとっての文字「漢字」と同じく、各民族それぞれの固有文字と取るべきではあるまいか。
『隋書』には「仏教を百済から求得して文字有り」とある。仏教伝来は九州王朝に公伝され、その時期は418年の戊午年である蓋然性が高い、と指摘する中小路駿逸氏の説がある。(『古事記通信 77号』多元的古代研究会2001年9月 による)
 また、「文字有り」とは、「漢字有り」ではないことは自明のことではあるまいか。サンスクリット語系の文字から意訳で漢字に変換できない固有名称などは、漢字を「借音漢字」として使って仏典の漢語訳を完成させている。このように漢字を「借音文字」として使っていることを、百済から仏典を求得した倭人が、中国人のやり方を見習って、和語和文を漢字表記する道具として、いわゆる「万葉仮名」だ出来し、その後、平仮名・片仮名へと発展する。その事を『隋書』は「始めて文字有り」といっているのではあるまいか。

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【本論】 【08 隋書の文字なしの解釈】 (注)文章の朱字部分は冨谷先生の叙述部分です。

冨谷先生の『隋書』の「文字なし」の解釈

 冨谷先生は、【百済から仏教が伝来したのは、552年(もしくは538年)のころ、欽明天皇の時代であった。「百済jから仏典が伝わり、そこで初めて漢字を習得した」という【隋書】の記載はいささか誇張があるにしても、仏教経典の舶来が漢文の浸透に寄与したことは、確かであろう。】(96頁)と述べています。どうやら「文字なし」を漢字なしととらえているようです。

『漢書』みえる倭人の朝貢に際して、使人は「大夫」と称し、『魏書』には、倭人は航海するとき、「持衰」と称する人物を載せている、など、とても「漢字」を知らなかったとはとても思えないのです。

 しかし、この『隋書』がいう「文字」とは、漢民族にとっての文字「漢字」と同じく、各民族それぞれの固有文字と取るべきではないでしょうか。また、仏教伝来を「仏典が伝わった」ととらえていらっしゃるようですが、仏典とともに仏僧などの渡来も伴っていて初めて「仏教伝来」といえると思います。

『隋書』には「仏教を百済から求得して文字有り」とあります。仏教伝来は九州王朝に公伝され、その時期は418年の戊午年である蓋然性が高い、と指摘する中小路駿逸氏の説があります。(『古事記通信 77号』多元的古代研究会2001年9月 による。同様の趣旨の論述は、『濱口博章教授退職記念国文学論集』1990年刊にもあると聞きます)

 また「文字有り」とは、「漢字有り」でないことは自明のことではないでしょうか。漢字が無いところの国から来た使者が「大夫」を自称したり、『魏志』倭人伝に数多くみえる、職名・人名を「漢字無しの世界」のことである、という証明をすることは不可能でしょう。

 インドから仏教が中国に伝わったのは後漢の初期といわれていますが、十一代の桓帝(在位146~148年)の時に、仏典の漢文への翻訳作業が洛陽で盛んに行われたそうです。(Wikipedia中国の仏教伝来より)

 この場合、サンスクリット語系の文字から意訳で漢字に変換できない固有名称などは、漢字を「借音漢字」として使って仏典の漢語訳を完成させているのです。

 私見ですが、漢字を自然発生的に「借音文字」として使っていた万葉仮名でしたが、百済から仏典を求得した倭人が、中国人のやり方を見習って、和語一語に漢字一字を対応させることに気付いたのではないでしょうか。また、新羅が朝鮮語の発音を特有の漢字をあて「吏読文字」として使用していることもヒントになったとも思われます。

 万葉仮名が、平仮名・片仮名へと発展していくのです。その流れのどのあたりを見て「始めて文字有り」としたのかは不明ですが、その「借音文字」の普及を見て『隋書』は「始めて文字有り」といっているのではないでしょうか。

 中華帝国にとって、周辺の民族が「その民族固有の文字を有する」かどうかで民度を見ていたのではないでしょうか。『隋書』夷蕃伝では40国あまりの国に伝が立てられていますが、「文字無し」とあるのは4か国です。国は「文字有」です。南蛮諸国は、交趾郡がおかれた歴史があり、朝鮮半島にも漢の四郡がおかれていたのですから、当然「文字有」でしょうが、残りの多数の国々は、特に何も書かれていません。

中国周辺諸国の文字を持つ民族の、文字使用の歴史をWikipediaで調べてみてみましたら、次の様なことが分かりました。

 西蔵(7世紀)・突厥(5世紀)・ウイグル(8世紀)・西夏(11世紀)・朝鮮(吏読5世紀、ハングル15世紀)・満州(16世紀)とそれぞれが固有の文字を持っています。これらのことを認識して『隋書』の「俀国には百済から仏教が入って文字ができた」という意味を考える必要があります。


 今後、言語学・民俗学などの多方面からの研究の進展に期待する、ときり現在では言えないようです。ただ、 冨谷先生は、前に述べたように、この本では、文章全体の意味を追求することよりも、個々の用語の確定から史料への引用とそれへの考証が自分の方法、と述べているのですが、この「文字」という実際の用語の意味の確定ができていずに、論証を進めているのは問題だと思います。

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