『冨谷至『漢倭奴国王から日本国天皇へ』疑問の数々07

【07 利歌彌多弗利を和哥弥多利と記すのはなぜ

【レジュメ】
 冨谷氏は、倭王の太子「利歌弥多弗利」について、『翰苑』注で「和哥弥多利」とあるとし、「和哥弥多利」にしろ「利歌弥多弗利」にしろ、一般的な称号であり、特定人物をさす固有名詞ではない。(144~145頁)という。
 この冨谷氏の主張には二つの問題がある。『翰苑』に「和哥弥多利」とあるのは本当か。二箇所に出ているので誤植とは思えない。もう一つは、ワカミタフリは「一般的な称号」という解釈である。 太宰府天満宮に伝わる『翰苑』写本を古田武彦氏がその実物を見て、「和」の書入れは後世のものと考証している。古田武彦『九州王朝の論理』にその「和」という朱字の書入れの部分、全体の文章の写真が掲載されている。『翰苑』原典の記事は、「太子号〈なづ〉けて哥弥多弗利」であり古田武彦の「太子の名はカミタフのリ」説を支持するものである。
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【本論】【07 利歌彌多弗利を和哥弥多利と記すのはなぜ  (注)文章の朱字部分は冨谷先生の叙述部分です。


冨谷先生の『翰苑』の記事の謎

 冨谷先生の『隋書』の「利歌彌多弗利」については次の様な発言が見られます。

『隋書』東夷伝には、すでに紹介したように倭国の大王はじめとする名称が紹介されている。
 
 倭王、姓は阿毎、字は多利思比孤、号は阿輩雞弥、・・・王の妻は雞弥と号す。後宮に女六七百人あり。太子を名づけて利歌弥多弗利と為す。・『隋書』東夷伝(『北史』東夷伝も同じ)

 倭王の名前:阿毎(アメ;天)、字:多利思北孤(タリシヒコ:足彦)、号:阿輩雞弥(大王)、王の妻(雞弥:キミ:君)、太子(利歌弥多弗利:リカミタフリ)

 太子を名づけて「利歌弥多弗利」は、『翰苑』注では、「王長子、和哥弥多利、華では太子と言う」とあるが、「和哥(歌)弥多利」にしろ「利歌弥多弗利」にしろ、『隋書』のこの条は、倭国の一般的な称号を述べる内容であり、特定人物をさす固有名詞ではない
】(p144~145)

冨谷先生の説明は、わざと意識的に間違えた、としか思えない記述です。『隋書』には「多利思北孤」とありますが、『北史』では「多利思比孤」とあり、「北」が「比」になっているのです。 なぜ『隋書』と『北史』では「北」が「比」に変わったのか、という説明が中国学学者冨谷至先生には必要と思います

 しかも、この冨谷先生が引く最後の『翰苑』の記事はいささか奇妙なのです。紹介した冨谷先生の文章の中に、二箇所この「和哥弥多利〈ワカミタリ〉」と読める長子の名か出ています。誤植かと思いましたが、一つは「和哥(歌)弥多利」とわざわざ「哥(歌)」と注釈の意味でしょうか付け加えています。

“『翰苑』には「和哥弥多利」とある”、としている本には小生はお目にかかったことがありません。冨谷先生のお仲間のどなたかの『翰苑』の「和」の書き込みについての意見があって、そのことからの孫引きではないかと推察されます。ともかくこの件は、中国学専門家の著作にしてはお粗末な史料処理と言えましょう。

 この『翰苑』に「和」という注があることに注目して太子「ワカミタフリ」説を発表したのは竹内理三氏(明治40年生まれ、平成9年没 東京大学史料編纂所所長)です。そして、これについて、その説の不当であることを発表したのが古田武彦氏です。

 古田武彦氏の『翰苑』の問題箇所の朱字の「和」の書き込みについての意見の概略を伝えておきたいと思います。


『翰苑』の「和」の書き込みについて(古田武彦氏の説明の概略)

①この太宰府天満宮に残されていた『翰苑』は、かなり誤字の多い写本であり、それらの誤字について特に朱書の訂正注はなされていないこと。

②カミタフリのところに「和」という朱字で書き込みを入れたのは、原典の筆跡とは明らかに異なり、後世のこの書物の持ち主と取るのが正しい史料評価である。

③その証拠として、太宰府天満宮に残されていた『翰苑』写本原典に多数存在する「和」の筆跡と、朱色の書入れ部分の「和」の筆跡を、原典の当該部分の写真を掲載して、論じています。尚、『九州王朝の論理』明石書店2000年刊に掲載されている多数の原典写真の一部分をコピーして紹介します。

この『翰苑』の記事は「太子
〈なず〉けて哥弥多弗利」ということであり、『隋書』の古田氏の解読、「太子号して利、カミタフの利」の正しさを示すものともいえましょう。
翰苑の書き込み部分

冨谷先生がおっしゃる【和にしても利にしても特定を指す固有名詞ではない】(p145)というように逃げないで、冨谷先生同様、中国の史書から日本の歴史を新しく析出した、いわば中国学者の先輩である古田武彦氏を毛嫌いせず、『九州王朝の論理』を読んでいないのでしたら是非読んでみていただき、「ワカミタフリ」説の不当なことを認識していただきたい、と思います。


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