鏡王女物語 (九) 注書
(注901)禍福はあざなえる縄の如し この諺(ことわざ)は、災いと幸せとは、まるで撚り合わせた縄のように、交代でやってくるという意味です。
(注902)室屋(むろや) あなぐらのことです。
(注903)な泣きそ の和歌 この元歌は、シンガーソングライター新井満(一九四六年新潟県生まれ)が、二〇〇一年に、アメリカ人マリ・エリザベス・フライ(一九〇六年生まれ)の詩に、訳と曲をつけて私家版として出したものです。原詩は、Do not stand at my grave and weep です。”私のお墓で泣かないで下さい。そこには私はいません。眠ってなんかいません。千の風となって、あの大きな空を・・・”の想を借りて三十一文字に仕立てました。
(注904)詮索(せんさく) 小さいことまで調べることです。
(注905)藤原史人(ふじわらふひと) 659年生まれ、720年没。中臣鎌足の次男。後年、藤原不比等として活躍し、実質的に藤原家の始祖とされる。天智天皇の落胤との説も根強い。
(注906)糸魚(いとい) 新潟県の糸魚川は古来ヒスイの産地と知られます。尚、この戯言(ざれごと)は筆者の創作によるものです。
(注907)チン毒 絶滅したとも空想上の鳥とも云われる鴆(ちん)という鳥の羽根にある猛毒のことです。
(注908)逃散(ちょうさん) 古代、農民・嚢奴が領主に反抗して田畑を捨てて域外に逃亡することを逃散といいました。ここでは、逃亡の意味で使っています。
(注909)諒闇(りょうあん) 君主が父母の喪に服す期間のこと。「諒」は「まこと」、「闇」は「謹慎」の意味があるそうです。5世紀の宋書にある倭王武の上奏文にも使われている言葉です。
(注910)雑賀(さいが) 紀伊の海部(あま)郡あたりの地名です。古来、船乗りに長じた集団の本拠地です。
(注911)無残(むざん) もともとは仏教用語で、残酷(ざんこく)と同じ意味です。
(注912)熊津(ゆうしん) 百済の古都で、西暦475年から538年まで都でした。現在の公州市。日本書紀雄略紀には「久麻那利」と出ています。
(注913)凌辱(りょうじょく) 人をはずかしめること。女性を力ずくではずかしめること。
(注914)錦江(きんこう) 韓国中西部の川。白村江とも呼ばれました。鹿児島湾は錦江湾と呼ばれますが、この錦江とは関係ありません。
(注915)殺戮(さつりく) むごたらしく多くの人を殺すこと。
(注916)落花岩 (らくかがん) 前出(注448)百済が唐・新羅との連合軍に敗れたとき、百済最後の都、扶余の官女3000人が身を投げたという伝説がある大きな岩場で名所となっています。
(注917)莫囂圓隣之 の歌 この和歌は、万葉集巻一第九番に、額田王が紀の温泉に行った時の歌、と記されていますが、今まで解読されていない歌として有名です。
(注918)自尊心(じそんしん) 自分の人格を保とうとする気持ち。プライドのことです。
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