鏡王女物語 (四) 注書き
(注401) 手水(ちょうず) 神社 や寺院で、参拝前に手を清める水,便所の異称 「ちょうず」の名は「てみず」からの転訛 だそうです。
(注402) 二の腕(にのうで) 肩と肘の間の部分のことを言います。なぜ「二」の腕といわれるのか定説はないようです。
(注403) 千字文(せんじもん) 子供に漢字を教えるために用いられた漢文の長詩です。千個の異なった文字が使われています。
千字文は“天地玄黄”から“焉哉乎也”に至るまで、天文・地理・政治・経済・社会・歴史・倫理・森羅万象について述べている、四字を一句とする二百五十個の句からなっています。全て違った文字で、一字も重複していません。
(注404) 御製(ぎょせい) 天皇が作成した、と言う意味です。一般に詩歌についていわれます。
(注405) あおによし加沙の都の歌 元歌は、万葉集巻十五、遣新羅使の旅の折に詠われた「古歌」として、第三六〇二
番に載せられています。“あおによし奈良の都にたなびける 天の白雲見れど飽かぬかも”の、「奈良」を物語に合わせて「太宰府・御笠」に変えました。
(注406) 室見川(むろみがわ) 福岡市西部を流れ博多湾に注ぐ川。春先は「ヤナを使っての白魚取り漁」で有名です。上流は日向川といいます。流域には最古の王墓と言われる「吉武高木遺跡」があり、『魏志』「倭人伝」に出てくる「奴国」の可能性が高いと思われます。
(注407)背の君(せのきみ) 背は「兄」・「夫」の意味で、背の君で敬称となります。
(注408) 前世(ぜんせ) 仏教用語で現世の前の世、と言う意味です。
(注409)雑色(ぞうしき) 雑務に従事した人たちのことです。
(注410)故事(こじ) 昔から伝わってきている、いわれのある事柄の意味です。
(注411)郎女(いつらめ) 若い女性を、親しみを込めて呼んだもの。「いらつひめ」がちぢめられて「いらつめ」となったと云われます。反対語は郎子(いらつこ)です。
(注412)掘り串を持つお嬢さんの歌 元歌は、籠もよの歌として知られ、万葉集巻一の一番初めに載っている歌です。雄略天皇の御製とされます。「籠もよ み籠持ち 掘串もよ み掘串持ち この岳に 菜摘ます児 家聞かな 名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ居れ しきなべて われこそ座せ われこそは 告らめ 家をも名をも」
一般的に、奈良時代のおおらかな歌、という評価のようですが、 不躾にも自分は大和の主だといって女性に家と名を聞く男の歌をトップに持ってきた『万葉集』の性格は???と筆者は思ってしまいます。
(注413) 菜畑に夕日の歌 これも著者が疑似万葉調歌として作った歌の一つです。元歌は、文部省唱歌です。前出(注202)「兎おいしのふるさと」と同じように、高野辰之作詞、
岡野貞一作曲のコンビの作の内の一つ、 「おぼろ月夜」です。“菜の花畑に入日薄れ 見渡す山の端霞み深し・・・”から、そっくりその想を借りたものです。
(注414)寶女王(たからのじょおう)第三〇代敏達天皇の孫で三四代舒明天皇の妻。舒明天皇歿後三五代皇極天皇として即位。後、弟の孝徳天皇に譲ったが、孝徳天皇の歿後再び三七代斉明天皇として即位(重祚)したとされています。
(注415)田村王(たむらおう) 第三〇代敏達天皇の孫で、推古天皇の後を継いで、三四代舒明天皇となったとされます。
(注416)鬼子母神 (きしもじん)毘沙門天の部下の武将夜叉王の妻で、五百人の子の母でありながら、常に他人の子を捕えて食べてしまうため、お釈迦様は彼女が最も愛していた末の子を隠して子を失う母親の苦しみを悟らせ、仏教に帰依させた、といわれます。以後、心を改め子供と安産の守り神となった、と言われます。 「恐れ入りやの鬼子母神」という駄洒落で知られる、東京都台東区入谷の真源寺は、鬼子母神を祀っています。
(注417)利発(りはつ) 気が利く、頭が良い ということで、子供についての形容詞です。
(注418)筑紫に上る(ちくしにのぼる) 都に行くことを「のぼる」、都を去ることを「くだる」と云います。現在のJRが「東京」を中心に「上り」「下り」と列車の区別をしているのと同じです。
(注419)工匠(たくみ) 建築や細工に携わる技術者のことです。
(注420)行宮 (あんぐう) 皇帝や天皇が外出したときの仮の御所のことです。仮り宮・行在所(あんざいしよ)と同意義です。「あん」と読むのは唐音で「ぎょう」は呉音です。
(注421)夜須(やす) 「夜須」という地名は、福岡県夜須町・高知県夜須町や、滋賀県野州町など「安」を含めると同地名は全国に沢山あります。本書の場合は、福岡県夜須町に当てています。
(注422)かまびすしい やかましい・かしましい と言う意味で昔使われた言葉です。
(注423)文机(ふづくえ) 物を書くための机のことです。「ふみづくえ」とは云いません。
(注424)よしなに よいように、てきとうに、よろしいように、などの意味で使われます。
(注425)大君の大奥の間を・・・の歌 この疑似万葉調の歌の元歌は、万葉集巻十一第二五〇八番の柿本人麻呂作の、“皇祖の神の御門をかしこみと さぶらふ時に逢へる君かも”です。 この歌を物語の筋に合わせ、人麻呂氏には断りも無く、少し変えて使わせてもらいました。
(注427)無聊
(ぶりょう) 退屈・心が楽しまない・気が晴れないなどのことです。
(注428)あわび貝の歌
元歌は、万葉集巻十一の「物に寄せて思いを述べた歌」の内の一首、第二七九八 番。作者は不明です。 “伊勢の白水郎の朝な夕なに潜くとふ 鰒の貝の片思にして” のほぼそのまま使いました。 「白水郎」とは、中国白水地方の漁民を、「漁師の代名詞」として、古代より使われたそうです。「伊勢」は、この物語の場所、筑紫の志摩町に同地名があるので、そのまま使わせてもらいました。
(注429) 普請(ふしん) 現在では「工事」の事です。道普請は「道路工事」、城普請は「県庁建設工事」となっています。
(注430)夢かうつつか この出来事は夢なのかうつつ(現)なのか、とても信じられない、という気持をあらわしています。
(注431)モガリ 「殯」と書きます。死者を本葬するまで長期間仮安置しておき、別れをおしむことが古代において行われました。
(注432)ふるさとの川のせせらぎ・・の歌 この元歌は、文部省唱歌。 犬童球渓一八七九年熊本県生まれ)訳詞、「故郷の廃家」です。 “幾とせふるさと来てみれば 咲く花鳴く鳥そよぐ風 窓辺の小川のせせらぎも過ぎにし昔に変わらねど・・・”の内容を物語の筋に合わせて三十一文字に仕立てたもの。アメリカのウイリアムヘイス(一八三七年生まれ)の「My dear old sunny home」が原曲です。
(注433)橿日宮(かしひのみや) 福岡市東区の香椎宮のことです。仲哀天皇が橿日宮で真だと日本書紀にあります。
(注434)行宮(あんぐう) 前出(注420) 天皇などが行幸するときに設ける一時的に駐在する施設。「行」を「あん」と読むのは「唐音」です。
(注435)大童(おおわらわ) 一心に夢中になってやることです。子供(童)は髪を結わないのでばらばら髪でしたが、戦で奮戦して髪がばらばらになることから、大きな童という形容が生まれたそうです。
(注436)紫宸殿(ししんでん) 内裏において天皇元服や立太子、節会などの儀式 が行われた正殿、とWeblio辞書にありました。
(注437)検証役(けんしょうやく)事実を確かめる役目の人のことです。
(注438)所望(しょもう) 物が欲しい、こうしてほしい、と望むことです。
(注439)化外(けがい) 皇帝の統治・文化の及ばないところの意味です。
(注440)仕儀(しぎ) 思わしくない結果、という意味です。
(注441)帰化(きか) 元々は、帝国の文化のになじむようになる、と言う意味でしたが、現在では、他国の国籍を得てその国民になることを言います。
(注442)軍師(ぐんし) 軍隊の参謀役のことです。
(注443)春日なる 御笠の山に ゐる雲を の歌 元歌は万葉集巻十二の中の、「別れを悲しびたる歌」三十一首の内の一首、第三二〇九番、 “春日なる三笠の山にゐる雲を 出で見るごとに君をしそ思ふ” で、詠み人は不明という歌です。元歌は、女性が彼の君を思っての歌ですが、物語の筋に合わせて、「君」を「大君」に変え、男性の歌として使いました。元歌の枕詞「春日なる」は、筑紫にも太宰府の近くに春日市というように「春日」の地名があり、「御笠」の枕詞としても不思議ではない、と思ってそのまま使いました。
(注444)理不尽(りふじん) 老理にあわないこと、という意味です。
(注445)然(しか)るべく 適当に、とか、よいように、という意味です。
(注446)扶持(ふち)部下に米を支給し、いわば給与とすることです。
(注447)後宮(こうきゅう) 宮殿の大奥の皇帝などの私的な建物で、男子禁制とされているところです。
(注448)落花岩(らっかがん)百済が唐・新羅との連合軍に敗れたとき、百済最後の都、扶余の官女3000人が身を投げたという伝説がある大きな岩場で名所となっています。
(注449)ヒレ 古代の女性が細長い布を肩にかけた細長い布で、「領巾」や「肩巾」と書きます。
(注450)荒津の海 幣(ぬさ)奉りの歌 元歌は、万葉集巻十一第三二一七番、詠み人しらずの和歌です。“荒津の海われ幣奉り斎ひてむ早還りませ面変りせず” という太宰府官人の出張時に遊女?が詠んだ歌という説がありますが、この歌を、物語の筋により、娘が母の帰りを祈る歌に変えました。
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