「進化する古田先生を追っかけた10年」 図表25枚
◎自己紹介 「新しい歴史教科書(古代史)研究会」「棟上寅七」「棟上寅七の古代史本批評」
(I)古田先生との出会い
ホームページと古田先生 孚石部でなく孚石都
◆松本清張『古代史疑』・「敵祭」 「悉皆調査」の有用性 「臺」と「壹」
◆ 上田昭氏の場合 「卑弥呼は共立された」・陳寿の『魏志』の地の文と、裵松之の注
◆大津教授のマエツキミ論に反論 卿大夫 【括地志曰 倭国 其官有十二等 一曰 麻卑兜吉寐 華言大徳 二曰 小徳・・・】「群臣」「大夫」「諸臣」「諸臣等」「臣」「臣等」「大臣」「臣下」「卿等」、大祓の祝詞 親王・諸王・諸臣・百の官人等 諸々聞こしめせ 八色の姓
◆数理文献統計学の欺瞞性 安本美典氏の場合 『大和王朝の起源』『虚妄の九州王朝』 道草10”虚妄の九州王朝”批判
◆『偽書東日流外三郡誌事件』批評の場合 斎藤光政 原田実 寛政原本 「ムー大陸」「竹内文書」ギリシャ祭文」「 戸来のキリストの墓」「安倍頼時の遺骨」遮光器土偶
◆森浩一氏の場合 書いていないことへの批判 足立倫行「奴(ナ)国」吉武高木遺跡、筑後山
(II)生意気にも先生に意見も
◆筑後の飛鳥視認実験 『壬申大乱』足摺岬の唐人駄場の実験 大分君 太良の郭務悰
◆なかった6号の場合 ノリキオ画伯
◆筑紫郡筑紫村大字筑紫はなかった 和名類聚集、御笠郡、席田郡、那珂郡
◆大分君は「おおいた」君ではない 大分君恵尺 碩田国 大分廃寺 王塚古墳 恵内慧瑞子 古遠賀湾 南良津 嘉麻・穂波地域「鏡王女物語」額田王 野方 当麻蹴速 野見宿彌
◆論語の二倍年暦批判 松下孝幸「日本人と弥生人」古代人骨の年齢調査法、中橋孝博「日本人の起源」弥生人骨の死亡年齢分布。礼記 耆・老・耄 顔回 尭・舜・禹
◆国生み神話私案 両児島〈天両屋〉・知訶島〈天忍男〉・女島〈天一根〉 小屋島 西戸崎 大岳 小値賀島 「遠の朝廷」近淡海 遠飛鳥 斯馬・志摩 伊都・怡土 生の松原・一貴山古墳 姪浜から今宿 灰塚照明 鬼塚敬次郎 響灘の白島 日女島 比賣 天比登都柱
◆東夷伝の戸と家の解釈 どちらが人口的に大きい単位なのか 邪馬壱国、投馬国、奴国、末蘆国、伊都国、対海国 一大国 不彌国 「戸」「家」「落」「邑」市糴 韓伝の馬韓【大国万余家、小国数千家、総十余万戸】、【国の総数は五十余国である】韓伝の「辰韓・弁韓」【国の総数は二十四ヶ国、大国は四、五千家、小国は六、七百家、合計四、五万戸。内、辰韓は辰王が十二国を支配している】筑前国嶋評川辺里木簡
◆「奴国」の位置(本のPRもかねて)
―――――休憩―――――――
(III)
進化する古田先生
◆郡評論争 馭戎慨言 坂本太郎氏の進化について 法華義疏(原本)痼疾 学問的寛容の精神
◆古田評価の進化―佐伯有清氏の場合 稲荷山古墳 鉄剣銘文 獲加多ケ鹵 新撰姓氏録 張莉
◆古田先生自身の進化 「異面の人有り、日の出ずる所に近し」侏儒国
◆倭人伝の「方」の理解 生野真好 韓非子
◆三国志の「里」について 魏晋朝短里 周髀算経 一寸千里の法 周の短里、魏は周の古制に
◆『邪馬一国の証明』の問題 光河氏 竹島鬱陵島説 魏晋朝短里
◆隋書の阿蘇山の場合有阿蘇山其石無故火起接天者 俗以為異因行禱祭 阿蘇山あり、その石、故なく、火起こりて天に接す、阿蘇山有り。其の石、故無し。火起り、天に接する者なり。周代の木鐸 「無故擅入」「古田武彦考」学
◆磐井の乱の場合 田村圓澄・小田富士雄・山尾幸久 葛子 水縄断層帯 筑紫国大地動之。地裂広二丈。長三千余丈。百姓舍屋。毎村多仆壌。是時百姓一家有岡上。当于地動夕。以岡崩処遷。然家既全、而無破壌。家人不知岡崩家避。但会明後。知以大驚焉。
(IV) 泉下でご報告したいこと
◆比は北である証拠発見 多利思北孤 「タリシ比コではなくタリシ北コというのは、原文の影印から明らか」阿軰臺 隋書俀国伝 北史
◆余談 白文の読み下しの難しさ 婦人束髪於後亦衣裙襦裳皆有襈攕竹為梳編草為薦雑皮為表縁以文皮 「襈」簡体字訳 「裳皆有襈。扦竹聚以为梳。」諸橋轍次大漢和辞典 渡部温標註康煕字典 唐韻 「士-戀切」「sh」+「ian」「シェン」、『訳註中国正史日本伝』
◆なぜ郭務悰が太良にいたのか み吉野の 耳我の嶺に 時なくそ 雪は降りける 間なくそ 雨は零〈ふ〉りける その雪の 時なきが如 その雨の 間なきが如 隈もおちず 思いつつぞ来〈こ〉し その山道を(二五)淑人乃 良跡吉見而 好常言師 芳野吉見〈与〉良人四来三(二七)よき人の よしとよく見て よしと言いし 芳野よく見よ よき人よく見〉多良人四来三
三重津軍事所 有馬康孝 名護屋城・唐津城 行基菩薩 竜泉寺城 織田信行竹崎観音寺「拝み堂」行基 竜泉寺城
◎結び