道草その5 ナガスネヒコに名誉回復を!?
ところで、槍玉その7 宮脇俊三さんの”古代史紀行” で、「神武天皇は実在したか」を検討しました。
架空説を唱える方々の根拠は、7世紀の史官の造作、という想像でありました。架空説は、その根拠に乏しく、古事記の記述は、当時の地理条件によく合致していて、とても後世の創作とは思えない、という結論に達しました。
しかし、この橿原での天皇家初代の就任が日本国の「建国」かなあ、と疑問が残りました。
といいますのも、日本列島に存在していた東?国(銅鐸国)の国々、筑紫の「倭国」の国々、出雲の国々、関東の国々、それら「神武」以前の先住の国の史実も、日本の国の歴史ではないでしょうか。
日本国が、統一された政治形態になったのが「建国」であれば、「大化の改新」あたりにまで、時代は下らなければならないのではないのでは、と思いますが、これも今後の当研究会の研究課題でしょう。
ところで、靖国神社のA級戦犯の合祀問題が、次期日本国の総理大臣の選出に大きく影響する問題になっているようです。
たしか、戦犯として連合国から裁かれた方々も、国の犠牲者ということで、本人への年金や遺族年金も国会の決議で支給されるようになり、いわば戦犯の名誉回復がなされたわけです。
中国などは、今はA級戦犯合祀を問題にしていますが、一歩譲れば、次はBC級戦犯がターゲットになる、という議論も、ネット上で見かけたことがあります。
BC級戦犯の多くは、憲兵だった方々だそうです。靖国神社の境内には、”憲兵の碑”(巻末参照)が建立されていました。少なくとも、ここ靖国の場では名誉回復されているわけです。
記憶に定かではありませんが、国会の議決は、1951年のサンフランシスコ条約成立後の、1952~3年の頃かと思います。ただ、国内向けで、特に中国や南北朝鮮の人達にもわかるように、とか、了解を取ってやったとか、いうのではないようです。(末尾の追記 参照下さい)
外国でも、スターリンの粛清の犠牲者の名誉回復とか、お隣の中国の文化大革命の犠牲者の名誉回復など数多いものです。
日本の歴史でも、時代の犠牲者の名誉回復の例は多いものです。北朝正統派からすれば、南朝の忠臣楠正成など賊将でしょうし、西南の役の西郷隆盛は、国家に対する反逆者の最たるものでしょう。
しかしそれぞれ、宮城前広場、上野公園にデンと銅像としてあたりを睥睨して、かつ、民衆の尊敬を集めています。
それならば、地方の時代といわれる現在、神武天皇に排除された大和のナガスネヒコ、崇神天皇に排除された出雲振根、継体天皇に排除された筑紫の磐井など、名誉回復してあげても良いのではないでしょうか。
東北のアテルイは地元によって名誉回復の機運があるそうですが。
右にナガスネヒコらしき人物を載せてみました。
(この項終わり)
追記:文芸春秋2006年8月号で、評論家上坂冬子さんと靖国神社元宮司の湯澤貞氏が靖国問題で対談されています。
其の中で、BC級戦犯の合祀は、昭和28年の遺族援護法の改正を受けてなされ、A級戦犯の合祀は、昭和53年になされた、と述べられています。
憲兵の碑
(本稿提供 研究会メンバー T.N氏)
靖国神社境内に”守護憲兵の碑”が建立されています。
国家安泰・神霊守護 靖国神社宮司 筑波藤麿 の署名があります。
碑誌は、下記のように、憲友会(憲兵のOB会でしょう)による、建立の趣意が述べられています。
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