新しい歴史教科書(古代史)研究会 道 草 その1
記・紀を読んで 棟上寅七
高校時代以来数十年ぶりに古事記・日本書紀を読んでみました。通して読んだのははじめてかも知れません。
読んでみて、あらためて感じたことは、天皇ご一家もたいへんだなあ、ということでした。
中世の南北朝の争いも大事件ですが、それにもまして、記・紀の世界に繰り広げられる皇統をめぐる争いは、まことに壮絶なものでした。古事記によりますと、(日本書紀もほぼ同様の内容)主なもので次のような記事があります。
神武天皇がなくなると、神武の最初の奥さんとの子と後の奥さんとの子供たちが争って、スイゼイ天皇が即位されます。
ヤマトタケル・仲哀・崇神・応神・仁徳・履中・雄略の各天皇が兄弟間の皇位をめぐって争い合いました。日本書紀の壬申の乱の記事にありますが、天智天皇の皇統をめぐる親族兄弟間の争い方は大変なものです。
争った、と私の感性で、柔らかく表現しましたが、記事にははっきりと”ころす”と書いてあります。よくも記録に残したものだなあ、と寒心させられました(変換ミスに非ず)。
記・紀によりますと、清寧・武烈の両天皇に男のお子さんが無く、次の後継選びに苦労されたようです。
6世紀の、継体天皇について、歴史学者の間では「侵入王朝」ではないだろうかとよく言われているようです。
この場合、遡ること5世の遠縁のケイタイを北陸方面からお迎えてして、皇位に就けた旨、書かれています。
現在でいえば、明治大帝のご兄弟のユカリの方を皇室にお迎えする、ということになりましょうか。
皇室典範改正の行くへは?紀子さまの三番目のお子さんの性別?など、頭の中では、記紀の世界から一挙に現代へと飛びます。
神道の祭祀を司る天皇家にとりましては、記・紀は必読の書物でしょうけれど、このような大変な歴史を背負わなければならない、現天皇ご一家、皇太子ご一家の方々は、まことにお気の毒、と、言える、私たち平民は誠に気楽なものですね。
(この項終わり)
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