道草その10 虚妄の九州王朝批判   棟上寅七

はしがきの「はしがき」

『虚妄の九州王朝』という本があります。安本美典氏が古田武彦氏を批判した本です。
内容は、悪罵に満ちています。この本を槍玉に上げるにしても、この悪罵・雑言の部分をまともに取り上げるのは大人気ない、と寅七の理性はいいます。
しかし、寅七の逆撫でされた感情は治まらず、考えたすえ道草としてホームページに、パロデイとして掲載し、安本美典氏にお返しをすることにしました。

このパロデイ文は、安本氏の虚妄の九州王朝の「はしがき」の文章約2100字強の内、文章・語句(文中の青字)410字程を、寅七が置き換えたもので、80%以上は元の文章のままです。元の安本氏の批評がどのような質のものか、読者諸氏にもよくお分かりいただけるのではないかと思います。


独断と歪曲の「古田武彦批判」を撃つ

はしがき

古田武彦さんへの罵詈雑言雨あられ旧約聖書創世記の話とされる、「ニムロッドの矢」という寓話がある。(注1)
虚妄の九州王朝という本がある。東日流外三郡誌という古文書の真贋論争に破れた所謂偽書派の代表として、安本美典氏が腹が納まらずして出版に及んだ「虚妄の東北王朝」に続いての、古田氏批判を展開したのがこの「虚妄書」である。

今日、最高裁まで争い、1審から2、3審ともに偽書にあらず、という判決であったにもかかわらず、悪あがきをしている。(安本著 『虚妄の東北王朝ー歴史を贋造する人たちー』[毎日新聞社刊]、安本美典編『東日流三郡誌[偽書]の証明』[廣済堂出版刊]、および『季刊邪馬台国』51、52、53、54、55号の特集記事参照)

希少価値のある古文書『東日流三郡誌』を偽書と決めこんで、その内容を紹介した古田武彦氏激し、『虚妄の東北王朝』なる本を書いた人が、産能大学教授(注2)の、安本美典氏である。

この程度の古文書の真贋判断が出来ぬようでは、学者失格というほかはない。
古文書を真摯に検討して書いた本を、頭から偽書と決めこみ『虚妄の東北王朝』と批判する。「虚妄」の文字が泣く。

そして、これだけ証拠がつみかさねられ、裁判が続き、最高裁で、偽書にあらず、と判断された今でも、安本美典氏は『東日流三郡誌』が物と主張してやまない。
「偽」の歴史を「真実」であると主張するなら、それは歴史の贋造である。

日本が第二次世界大戦でまけたあと、ブラジルで、「日本は戦争に勝ったのだ」と主張してやまない日系の人々がいた。いわゆるブラジルの「勝ち組」とよばれた人々である。
「勝ち組」の人々は、「日本は戦争に負けたのだ」という人々に、執拗な攻撃を加えてやまなかった。

今日安本氏らの主張は、その妄想性において、ブラジルの「勝ち組」とほとんど変わらないものとなっている。
学問的には、もう決着がついているといってよい。

しかし、「東日流三郡誌事件」以後でも、安本氏が講演会をひらけば、ときに、100人、200人の人が集まるという。(注3)
これまで、安本氏を支持してきた人々のなかにも、「安本ばなれ」をした人たちも少なくない。

しかし、外部の情報を遮断し、ひたすら、安本氏の述べることのみを信ずる人々にとってささえられている「邪馬台国の会」「季刊邪馬台国」などは、活動を続けている。『東日流三郡誌』=偽書にあらず説に対する批判攻撃がおこなわれつづけている。

安本教という宗教的ドグマにもとづく、狂信者の集団というほかはない。
安本美典氏のような誤った結論をもたらしたのは、安本美典氏の「学問の方法」という基本がよろしくないからである。

わたしたちは、「東日流三郡誌事件」以前にもたびたび安本氏の明白な誤りを指摘してきた。
安本美典氏の本質は、「事実」や、「真実」ではなく、数理統計文献学なる手法を用いるに、コンピューターを恣意的に操るところにある。「科学的」という名の下に、これほどの悪態をつくコピーライターはいないと思わせる、「文」による「センセーショナリズム」である。

マス・コミは、「センセーショナリズム」に弱いという体質を持っている。センセーショナルであれば、本は、売れるからである。
マス・コミが、信念的発言やセンセーショナリズムに弱いことは、戦時中の報道をみれば、よくやかる。マス・コミ報道に対しては、よほど用心しないと、とんでもないところにひっぱりこまれてしまう。

「この道はいつか来た道」という歌詞がある。
自信ある態度、高圧的言辞、まくし立てる弁舌、くりかえされるシュピレヒコール。

かって、私たちは、このようなプロパガンダの方法にであったことはなかったか。
むかし、こんな人がいた。その人はポーランドにみずから侵入しながら、ドイツ住民に対するポーランドの残虐行為を発表しつづけた。はじめから破る予定であったとしか思えない独ソ協定を結んだ。その行動は、たえず矛盾していても、語る言葉は迫真力をもっていた。

小ヒットラーは、いつの時代でも、どこの世界でもいる。
警鐘はならしつづけなければならない。

「科学」というものは、その歴史上、安本美典氏のような、ものすごいドグマと戦いつづけてきたのである。
私がこの批評文を書いたたのはつぎの意図にもとづく。

(1) 古代史の研究にたずさわる以上、古代史についての科学的研究とは、どのようなものであるかを、ねばり強く説く必要があると思われること。つまり、科学的な研究を顕現させ、普及させるよう努力することは、研究にたずさわるものの義務と思えること。

(2) この『虚妄の九州王朝』で紹介された、三木太郎、奥野正男、白崎昭一郎、その他諸氏の研究を、一般の読者にもわかりやすい形で、まとめて批判する必要があるように思われること。

(3) 論争を通じて、古代史についての、多くの事実が、明らかになるように思われること。
科学というものは、多くの先人たちの、粒々たる、そして時には、結果的にむなしい努力の末に、しだいに顕現してきたものであるが、時には、コペルニクス的人物によって昇華することもあるのである。

私のこの批判文は、あらぬ非難を他へ投げかけるためにあらわしたものではない。誤った知識は、世にひろめられるべきではない。私は、この批判文を、心をつくして、古代史研究における「科学」の顕現をめざして書いた。意のあるところをおくみとりいただければ幸いである。
                                              (以上


  注1)ニムロッドの矢というお話は、天(神様・摂理)に逆らって放った矢は、途中で方向を変え、射手またはその命令者に向かう、というメソポタミア地方の伝承神話
  注2)本の奥書に産能大学とあったので、そのまま使った。しかし、産能大学聞きなれない大学である。ひょっとしたら、1950年創立の産業能率大学のことかな。それとも自由が丘産能短期大学のことかな?
  注3)安本氏の講演会への参加者の数字は公表されていないので推定

終わりに

虚妄の九州王朝の内容(悪態以外の)についての検討・批評は、槍玉その19にて行う予定です。このパロデイはあくまでも、道草を食っているところです。

                 (この項おわり)  トップページヘ戻る