『韓半島からきた倭国』 李鐘恒著 兼川晋訳 訳者あとがき
李鐘恒さんの『古代伽耶族が建てた九州王朝』(原題)をソウルの教保書房で最初に見付けたのは先輩の成清さんだ。おもしろそうなので買ってきた、と一冊貰ったが、私は自墳で買った本でなければ読まない主義である。借りたり貰ったりした本は、読んでも身につかない気がするからである。それでもこの本ばかりは例外だった。読みだすと面白くて止められない。よろしい。読んでから、同じものをまた買えばいい。そんなわけで、とうとう翻訳までする羽目になったのである。
私はこの本の翻訳を二人の日本人のために思い立った。一人は例の成清さんで、この人は私に韓国語の勉強を勧めてくれた人である。成清さんには勉強の成果を見てもらいたかった。もう一人は古田武彦さんだ。この人には、一章訳し終るごとにお届けした。もう十何年前の話であるが、私は古田さんから古代史開眼をさせて戴いた。それをいささか恩義に感じているところがあるからである。
古田さんの『「邪馬台国」はなかった』が出たのは昭和四十六年である。文字通り衝撃の書であった。以来、矢継ぎ早に世に出された古代史関係の本は、私が買ったものだけでも三十冊を越えている。その熱情あふれる日本の多元的国家成立論は、従来の一元的古代国家成立史を説く通説に常に飽くない論争を挑んでやまない。にも拘わらず、なぜ古田野説は無視されるのか。反論さえ聞くことができない。古田さんがそう嘆かれるたびに、私はただ言葉もなく手酌で盃を重ねるしか能がなかったようである。
ところが、李鐘恒さんのこの本は、説くところは古田史学と重なる部分が非常に多い。謂うなれば、古田説を韓国の古代史からみるとどうなるか、といった態の立場が読みとれるのである。これは韓国における古代史学に対する最初の反応ではなかろうかとさえ私は考えたのである。
古田さんを通して新泉社から出版の話がきたとき、私は韓国留学の準備をしている最中であった。『古代伽耶族が建てた九州王朝』は完訳で九百何十枚になる。出版の都合は四割縮めたいということだったので、慌ただしい作業になったが、韓国側の資料や考え方はなるべく残し、日本では既によく知られていることや重複した部分の割愛にとどめた。原本の面影や匂いはそのままの筈である。
あとの煩瑣な作業は新泉社に全面おんぶであるが、よろしくお願い致します。では、いってまいります。
一九八九年八月十五日 兼川 晋