まだ見ぬあなた・・・・に 上城 誠
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中村通敏さん、それともインターネット上の「棟上寅七の古代史本批評」と題したブログで辛口のコメントを発信し続けている棟上寅七さんと呼ぶべきでしょうか。どちらにしても、氏は「学問」に対して極めて誠実な研究者です。
それは『「奴」をどう読むか』(古代に真実を求めて・第十二集)、『短里によって史料批判をする場合の問題点について』(古田史学会報・一〇二号)等にみれるように、そして氏が主宰する「新しい歴史教科書(古代史)研究会」のホームページで発表する研究論文を読んでも、ただちに判ることです。
そこには、誠実な「学問の方法」が実践されています。例えば“使用する史料・資料を吟味し、客観性のある信頼しうるものにのみ依拠して立論する。自己の思い込み、あるいは自説に都合の良い資料のみを用いた解釈をしない”等々です。
誠実さとは「学問の方法」に対する氏の厳格さの発露なのでしょう。
そんな中村さんが『鏡王女が歌で綴る動乱の七世紀』という小説を上梓される。唐と倭国との一大決戦「白村江の戦い」を中心に据え、近畿大王家と、その主人たる九州王朝との関わりを解きあかす壮大な歴史絵巻を、あたかもNHKの大河ドラマのように鮮やかに私達の眼前に描き出して見せたのです。
小説というジャンルを活用して、論文では触れ得ない禁断の領域に歩を進めたのです。
鏡王女という可愛らしい万葉歌人が物語り、また歌語る、読者をして自分の言葉で誰かに話し語りたくなる、そんな歌物語として完成させたのです。
その想像力と創造力の広大さには、中村さんの創作された万葉風短歌ともども驚嘆の二字しかありません。
「歴史事象は物語られて初めて歴史になる」と云う人もいます。
中村さんの書かれたこの小説が多くの読者によって語られ、語りつがれ、その遠くない未来「太宰府政庁跡」「水城」「大野城跡」「筑紫小郡明日香の地」で、「九州王朝」を議論しあっている第二、第三の棟上寅七・寅子の姿に連なっていくことを、私は信じています。